過去のお話 その8

●○日露戦争とは

作戦や戦闘における失敗はまったく書かれていない公式戦史。

なぜ書かれていないのか。

公式戦史が書かれようとしているとき、論功行賞がいっしょに行われていたからだそうです。

乃木希典大将は男爵であるが、これを伯爵へと2階級あげたい。

そうするためには乃木軍の参謀長伊地知幸介少将を新男爵に。

人事の形式上論理がそれを必要としている。

さもないと山県元帥が侯爵から公爵へと昇れない、などなどでした。

これでは旅順攻略の歴史を正確無比に書くわけにはいかないではないか。

海軍もまた然り。

こうして軍司令官クラスは伯爵に、古参師団長は子爵、その他の師団長・旅団長クラスが男爵に、といった風に貴族になったそうです。

その数は陸軍関係615名、海軍関係315名の計百名の大盤振る舞い。

伊藤博文以下の文官31名にくらべてみれば、おのずと軍事大国への道がひらかれたことが理解できます。

その上に軍人には金鶏勲章という論功もあったそうです。

過去のお話 その7

●○日露戦争とは

もっとどろどろとした忌まわしいことが軍内部で行われていました。

それによっての事実の歪曲や糊塗もまた必要だったのです。

それは『参謀本部編纂・明治光78年・日露戦史』という全十巻の記録を読めぱ一目瞭然です。

克明かつ詳細な記述ですが、まったくの綺麗事がずらりとならべられています。

将軍や参謀たちの手柄話のオンパレードで、「馬を駆って無人の野をゆくがごとき日露戦史」という司馬遼太郎氏の評がぴたりです。

作戦や戦闘における失敗はまったく書かれていないそうです。

なぜこんなことが起きたのでしょうか。

過去のお話 その6

●○日露戦争とは

ところが政府や軍部の指導層はその事実を蔽い隠しました。

裏側には、惨憺たる勝利ののちに、日本は早くも新たな対ロシア大戦争の脅威に怯えねばならなかったのです。

それゆえにいっそう真相を秘しました。

かわりに鐘や太鼓で勝利の栄光を謳い、一等国家の"大国民"としての誇りと、報国・献身とを国民に訴えつづけます。

栄光と悲惨への両極分解は、日本が軍事大国たらんとの第一歩を踏みだした瞬間に、もうはじまっていました。

いや、恐露脅露ゆえの真実隠蔽と書きましたが、すべてをいっているわけではなかったそうです。

過去のお話 その5

●○日露戦争とは

国難を小さな島国の国民が一つになって見事に凌いました。

しかも世界史に輝くような勝利につぐ勝利によって・・・です。

国民がひとしく有頂天になるのも無理はありませんでした。

しかし事実は、日本帝国の勝利は薄氷を踏むような"惨勝"であったのです。

満洲における陸軍の戦いは負けてはいないが、決して勝ってはいませんでした。

戦力は底をつき、補給もままならず、指揮官となる将校が死傷によって激減していました。

結果的には、黄海と日本海におけるロシア艦隊の全滅という海戦での大勝があり、また国際世論のロシア冷視もあり、戦争という大きな場において勝利を国的に確定することができたまでなのです。

過去のお話 その4

●○日露戦争とは

日露戦争の戦費19億円余、当時の日本の経済力をはるかに超える支出でした。

やむなく大部分を外国債に依存することになりました。

となれば増税につぐ増税。

そして国債募集・献金の強要です。

国民の生活は窮迫をつげざるをえませんでした。

にもかかわらず、国民はこの軍拡方針を喜んで許容したのです。

何故かを解くカギは簡単でした。

日本人はひとしく世界の五大国の一である帝政ロシアに「勝った」ことを心から喜び、誇りに思ったからです。

もし日本が負けたら、満洲と朝鮮はロシアの直轄領になり、対馬は要塞化され、日本本土はその属邦となったことであろう(クロバトキン著『満蒙処分論』より)。

過去のお話 その3

●○日露戦争とは

20世紀の初頭(1904~05年)に戦われた日露戦争の勝利は、日本人を力づけました。

軍人の人気は高まり、国家の干城とまで讃えられました。

明治40(1907)年4月、政府は山県有朋元帥の私案のもとに、ロシア・米国・中国(清国)の3仮想敵国に同時に対処しうる兵力を整備する大軍拡方針(「帝国国防方針」)を決定。

「我国権ヲ侵害セムトスル国ニ対シ、少クモ東亜ニ在リテハ攻撃ヲ取リ得ル如クヲ要ス」しかし、そんな大軍備の完整など、だれが考えてもできない相談であるとわかっています。

過去のお話 その2

●○日露戦争とは

明治の、それも日露戦争後につくられた「型」によって、国家は運営され、国民はそれを選び協力してきました。

その「型」とは一言にいって、軍事大国の道です。

そのことは、日露戦争後の日本陸海軍の「軍事力成長率」によって知れます。

その勢いは、昭和40年代の経済成長率と同じくらい恐怖すべき速度で進められ、しかも無限につづくような錯覚がうまれ、国民の多くは「20世紀は日本軍の世紀」とさえ思うようになっていきます。

過去のお話 その1

●○日露戦争とは

井上ひさし氏の戯曲『しみじみ日本・乃木大将』のなかに象徴的なセリフがあります。

「明治天皇……乃木、われわれの、この明治という時代は、さまざまな場所で、さまざまな人々が、忠臣や、篤農や、節婦や、孝子などの型を演じ、その型を完全させ、周囲の手本たらんとつとめる時代なのだ。

国民に型を示し、そのうちのひとつを選ぱせる。

これが国家というものの仕事なのだ」

昭和20(1945)年8月15日までの20世紀前半の日本帝国は、しみじみ想うに、井上氏のこのセリフでつくされているような国家であったといっていいようです。

ケンカの強い猫とは その2

●防衛を示す行動

「お前は怖いけど、あまり追いつめるなよ。さもないと逆に飛びかかっちゃうぞ。」

という逃げ腰の空いばりの威嚇の場合、なるべく体を大きく見せようとします。

背中を弓なりに丸め、体中の毛を逆立てます。

しっぽはふくらんで逆U字型に。

そして普通は攻撃者に対して横向きになります。

瞳孔は開き、耳はたいらに寝かせ、口をあけてシャーッという声を出します。

この3つは力関係や立場によって、複雑にからまりあって表現されます。

例えばケンカしようかな、でも怖いかな、と悩んでいる猫の場合。

前足が恐怖で後ずさり(防衛行動)、後ろ足が攻撃で前進(攻撃行動)をして、ななめの横っとびになることもあります。

以上のことを踏まえて観察すれば、猫同士のケンカのときに、どちらが優位にたっているかがわかります。

体を弓なりにしてシャーシャーいうのは、強そうに見えて実は"窮鼠(猫?)かえって猫をかむ"という、必死の守りの状態なのです。

ケンカの強い猫とは

しっぽをふくらませたり、耳を寝かせたり・・・猫がケンカしている時のしぐさはいろいろ。

これは、大きく3つに分けることができます。

ひとつは攻撃を示す行動。

ひとつは恐怖(服従)を示す行動。

もうひとつが防衛を示す行動。

これを見分けることで、どの猫がケンカの主道権を握っている強い猫かを見分けることができるのです。

●攻撃を示す行動

「ほほう、お前やる気か」という自信.まんまんの威嚇の場合。

耳をそらし、耳の裏が前から見えるような状態に。

瞳孔は狭いスリット状になり、ヒゲは前方に逆立ちます。

しっぽは低くして左右に打ち振り、ウオゥウオゥとうなり声をあげ、体の毛は寝たままです。

●恐怖(服従)を示す行動

「かないません、まいりました!!」という降伏の場合。

なるべく体を小さく見せて、弱いということをアピールして相手のやる気をそごうとします。

耳もヒゲもぴったり寝かせ、瞳孔は大きく開いてまん丸に。

視線をそらしたり、目をつぶったり。

うずくまってしっぽで地面を叩き、体の下に巻き込んでしまいます。

声は出さないですが、悲しそうな声をあげます。

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